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9:43 朝日要旨
日経
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20071125AS1K2500225112007.html
社説1 11年ぶり豪新政権の外交に注目したい(11/26)
オーストラリアで野党・労働党が11年ぶりに政権を奪回する。次期首相に就任するラッド党首(50)は2008年半ばまでのイラク駐留豪軍の一部撤退や温暖化ガスの排出削減義務を定めた京都議定書の年内批准などを公約に掲げ、総選挙で勝利した。豪州とは今年3月に日豪安保共同宣言に署名するなど日本にとって戦略的に極めて重要な国だけに、新外交の展開を見守りたい。
24日投開票の総選挙で保守連合(自由党と国民党)を率いたハワード首相(68)は自らも落選した。財政黒字を達成し経済も好調ながら4期11年8カ月と豪史上2番目の長期政権が敗れたのは有権者の「飽き」があったと分析されている。
ハワード首相の退場に伴い、03年のイラク開戦でブッシュ米大統領を支持した「有志連合」のブレア前英首相、ベルルスコーニ前伊首相ら米国の盟友だった主要国首脳はすべて退く。親日家のハワード首相は日本を「親密なパートナー」と呼び、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りも積極的に支持してきた。
ラッド次期首相は外交官出身でもあり、強い同盟関係にある米国を最重視する路線を引き継ぐのは間違いない。ただ選挙戦で「イラク侵攻は誤りで、アフガニスタンを重視すべきだ」と訴えてきた経緯があり、イラク駐留豪軍撤退などを巡って対米関係が微妙になる可能性もある。
労働党は1980年代から90年代にかけても政権を担い、アジア太平洋経済協力会議(APEC)を提唱するなどアジア重視の姿勢を示した。ラッド次期政権になっても対日関係に大きな変化はないだろう。
小泉純一郎元首相、ブッシュ大統領、ハワード首相時代のような日米豪の蜜月関係は若干変わるかもしれない。だが日豪は今年6月に初会合を開いた外交・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)などを踏まえ「テロとの戦い」などで連携を強化する必要がある。
ラッド次期首相は外交官として北京に駐在した経験もあり、中国の胡錦濤国家主席とは通訳なしに中国語で会談する間柄だ。資源大国の豪州にとって最大の貿易相手国は日本から中国にかわりつつある。中国は日本に先行し、豪州との自由貿易協定(FTA)交渉に入っている。日本としては「経済安全保障」の観点から日豪経済連携協定(EPA)交渉を着実に進めなければならない。
ラッド次期首相がハワード政権が拒否してきた京都議定書批准を「最優先課題」と公約したことは大きな方針転換であり、歓迎したい。
社説2 WTO交渉を頓挫させるな(11/26)
世界貿易機関(WTO)のパスカル・ラミー事務局長が多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の年内の大筋合意を断念したことを公式に表明し、世界の自由貿易体制を強化する道筋が見えなくなってきた。海外市場への輸出や投資なくして持続的な成長を果たせない日本には重大な危機である。福田康夫首相は、WTO交渉の難局を座視すべきではない。
交渉の進展を阻む壁は、日米欧などの先進国と、インド、ブラジルを代表とする途上国グループの対立である。とりわけ焦点となっている分野が農業だ。先進国が自国の農業を守るために設けている高率の関税や補助金を大幅に削減しない限り、途上国は鉱工業品の関税を下げるわけにはいかないと主張している。
年内の決着を断念すれば、次にいつ交渉進展の機会が訪れるかは分からない。米国のブッシュ政権は農家の不評を買う農業補助金の削減に踏み切れないでいる。実質的な交渉は来年11月の米大統領選の後に持ち越される可能性が大きい。
交渉参加国の間では米国の責任を問う声が強い。だがWTO交渉が頓挫した場合、米国以上に困るのが日本である。少子高齢化で労働力人口が減少し、国内市場が縮小する日本は、グローバル市場に活路を見いだすほかに経済発展の道はない。
一例として日本経済のけん引役である自動車産業をみれば、トヨタ自動車の海外での売上高の比率は74%、ホンダは85%に達している。今までは米欧の先進国市場が中心だったが、今後は中国、インド、ブラジル、ロシアなどの新興経済大国でも収益を上げていく必要がある。
まだ関税が高いこれらの新興国や途上国を自由貿易体制に組み込むには、2国間で結ぶ自由貿易協定(FTA)だけでは不十分だ。世界約150カ国・地域が参加するWTO交渉を推し進めていくしかない。
農業保護を優先する日本は交渉の舞台で矢面に立たぬよう、あえて静かに振る舞っているのではないか。批判の矛先が米国に向かっているからといって、難局の打開に努力しない無責任な姿勢は許されない。
福田政権は今こそ率先して農業改革と市場開放の方針を示し、WTO交渉の前進を堂々と主張すべきだ。
春秋(11/26)
ほとんどの自衛官がそれを知らない。武道館で開いた今年の自衛隊音楽祭りでも披露されなかった。そんな幻の自衛隊応援歌がある。題名は「オール・ツー・ワン~ひとつに」。伸びやかないい曲だが、歌詞がいかにも意味深長である。
▼「ひとつに」は陸海空3自衛隊の統合運用を意味する。「空が大地とひとつに、海が空とひとつに」と歌詞にある。「海と大地がひとつに」はない。陸と空、海と空は協力できても陸と海は難しい。冷戦時でも「米陸軍の最大の敵はソ連陸軍ではなく米海軍」といわれた。古今東西を問わず陸軍と海軍は仲が悪い。
▼「ひとつに」は、だから重要なのだが、長期間にわたり防衛省で絶大な権力を誇った守屋武昌前次官は「オール・ツー・ワン」を「ひとつに」ではなく「ひとりに」と誤解した。全組織は自分のためにある、自衛隊員倫理規程も自身には関係ないと思い込み、接待ゴルフに溺(おぼ)れた。独裁者が陥りがちな悲劇である。
▼権力の座を去る瞬間、ひとはしばしば歴史に残る言葉をはく。33年前のきょう、金脈問題で退陣表明した田中角栄首相は「一夜、沛然(はいぜん)として大地を打つ豪雨に心耳を澄ます思い」と述べた。澄んだ心境が伝わるが、田中氏の悲劇はそれで終わらなかった。2年後のロッキード事件は元首相の逮捕にまで至った。
Asahi.com
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
希望社会への提言(5)―「第6次産業」を育てよう
・地域の「宝」掘り起こし、知恵を出し合い磨く
・「生産力・加工力・販売力」の三拍子で相乗効果を
◇
地域を主役にした仕組みに日本を造りかえよう、と前回まで提言した。ではそのうえで、疲弊する地域経済を立て直すにはどうしたらいいだろうか。
各地の成功例には、そのヒントが隠されているはずだ。
日本海に面する兵庫県豊岡市で、不思議な光景に出会った。農閑期なのに、あちこちの田んぼで、田植えの前のように水が張られているのだ。こうすればイトミミズが増えて土が肥え、雑草が生えにくくなる。無農薬や減農薬の栽培がしやすくなるという。ドジョウなどの水生動物が増え、コウノトリの格好のえさ場にもなっている。
日本のコウノトリは71年、この地域で絶滅した。農薬が命を縮めた。その後、人工飼育に努め、いま野生復帰したコウノトリ19羽がこのあたりに生息する。
この方法で03年に米を作り始めた時には栽培面積が1ヘクタールもなかったが、4年間で157ヘクタールへ広がった。
この秋、イトーヨーカ堂が始めたネット通販の新米に、ここの米が入った。5キロ3620円。新潟の南魚沼産に続いて2位の高値だ。安めの米の3倍近い。コウノトリがすむ田の米は安全でうまいという評価が定着したからだ。大阪市内の生協の組合員との交流も生まれ、顔の見える取引が増えている。
食材のグローバル化が進む一方で、安全安心への需要が高まっている。農業に活路を見いだすには、このように「安全な食の供給基地」をめざすことが大切だ。そして、ネットも活用しながら消費者を直接つかんで独自の販路をつくる。いちどは絶滅したコウノトリが、そうした方向を暗示している。
過疎地は日本の面積の半分を占める。雪深い新潟県の旧安塚町(現上越市)でも高齢化が深刻だ。だが、暗い影があまりない。民泊して農村体験する小中学生らが年間900人も訪れる。笹(ささ)だんごを売ったり、米のオーナーを募ったりと都会との交流が盛んだ。高齢化の進んだ集落が、こうした共同事業で年間1700万円を稼ぐ例もある。
きっかけは、厄介な「雪」をお金に換えたことだった。21年前、町は雪だるま形の容器に雪と地元の特産品を詰めて出荷してみた。これが当たった。
元町長の矢野学さん(67)は、さらに活用を思いつく。冬場に積もった雪を建物の地下にため、夏場の冷房に使う。これを高齢者施設や中学校へ広げ、大幅に電気代が節約できた。雪室で米や酒を貯蔵する事業も軌道に乗った。
雪による町おこしが呼び水となり、宿泊体験者が相次ぐようになった。
矢野さんは「商売する集落になろう」と呼びかける。知恵をしぼって、地域のハンディでさえ得意技に変えてしまう。それが現金収入に実れば、住民のやる気と自立心がさらに育つのだ。
商店街に目を移そう。劇的に変わった街が滋賀県長浜市にある。「黒壁スクエア」と呼ばれ、約300メートル四方にレトロ調の店が並ぶ。むかし豊臣秀吉が長浜城主のころ、「楽市楽座」という無税の規制緩和街として栄えたところだ。
88年4月に調べたら、商店街の人通りが日曜の1時間でたったの4人。大型店進出のあおりで、さびれきっていた。
そのころ、「黒壁」の愛称で親しまれていた旧銀行の建物が取り壊されそうになる。中小企業経営者らが市と協力して建物を買い取り、翌年、ガラスを中心にした街づくりに乗り出した。建物は「黒壁ガラス館」として再生された。
ガラスに縁はない土地だったが、欧州産を含め工芸品を展示販売したら受けた。各地から制作家が集まり、いまやガラス工芸の街として知られる。
近くの北国街道沿いの古い町家が、工房やギャラリーに改装された。県外の人が経営する店も多い。街路は楽市楽座時代の区割りそのままによみがえった。いま、年間200万人を呼び込む。
ものづくりの分野でも、伝統技術を生かして世界に輸出しているところがある。洋食器で知られる新潟県燕市では、磨き工程の下請け会社群が、アップル社の携帯音楽プレーヤー・iPod裏面の鏡面仕上げを担当した。
国内有数の筆の産地、広島県熊野町の業者は、高値で売れる化粧用の筆に技術を応用し、海外に販路を広げる。
「第6次産業」という造語がある。
1次は農林水産、2次は製造加工、3次は販売サービス業だが、三つの数字を足しても掛けても、答えは「6」。掛けた場合は、どれかがゼロになると結果もゼロになってしまう。
もとは、加工・販売まで一貫した農業づくりを提唱した言葉だが、地域経済にとってもこの相乗効果が欠かせない。
自然や歴史、伝統といった足元の「宝」を掘り起こし、加工し、付加価値をつける。そして都会のニーズをつかみ売り込む。ここに取り上げた各地は、その総合力で自立の鍵をつかんだ。
活性化といえば、いまだに公共事業や補助金を霞が関へ陳情するのがお定まりだ。だが、外からのお金に頼っているかぎり、自立はおぼつかない。
地域がもつ知恵を出し合うことこそが「宝」を磨くことになるだろう。
天声人語
2007年11月26日(月曜日)付
サッカー日本代表のオシム監督(66)は、祖国ユーゴスラビアの解体や、ボスニア内戦といった辛酸をなめてきた。それゆえだろうか。口をつく言葉は奥が深い。民族の悲劇が、名将の人生に、深々とした陰影を刻んでいるように見える▼動じない精神力と、異文化への広い心が持ち味である。それを戦争体験から学んだのかと聞かれ、「(影響は)受けていないと言った方がいい」と答えたそうだ。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…」(木村元彦『オシムの言葉』)▼内戦の死者は20万を数え、サラエボの街は破壊された。街の一角に、監督が生まれ育った地区がある。そこで起きた悲劇を描く映画『サラエボの花』が、近く東京の岩波ホールで上映される。内戦下の組織的レイプを見据えて、内容はずしりと重い▼この映画に、脳梗塞(こうそく)で倒れる直前のオシム氏が文章を寄せている。愛してやまない故郷を、「すべての者が共存し、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる場所だった」と誇らしげに思い起こしている▼その故郷を、「人類のモラルと良心がかき消された、世界史上に類のない場所になってしまった」と言い切るのは、辛(つら)かっただろう。燃えるような郷愁と、戦争への憎悪が渦を巻く、切ない一文である▼オシム氏の容体は予断を許さないと聞く。現役時代の氏は、ハンカチ一枚の隙間(すきま)があれば、3人に囲まれても突破したそうだ。危機を突破して、新たな言葉を聞かせてくれるよう願う。
2007年11月26日月曜日
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