2008年3月10日月曜日

[ゆとり教育についての基礎知識][基礎知識]学力低下の本当の原因は何か?


[ゆとり教育についての基礎知識]
[基礎知識]学力低下の本当の原因は何か?

「ゆとり教育」への流れ
 文部科学省による「ゆとり教育」路線の始まりは、一九七〇年代にまで遡る。受験戦争への批判が高まるなか、七七年の学習指導要領改訂において、これまでの教育が知育偏重であったという反省にもとづき、「ゆとりある、しかも充実した学校生活」を目標に据えることになった。
 八四年には、非行やいじめ、不登校の急増を背景に、中曽根康弘首相(当時)の諮問機関「臨時教育審議会」が発足する。最終答申までに、「教育の自由化」「個性重視」「国際化と情報化」「学歴社会の是正」といった教育改革の方向性が提言されていった。
 大きな転換点となったのは、八九年改訂・九二年施行の学習指導要領である。子どもの知識より意欲や関心を重視する「新しい学力観」が打ち出されたのだ。と同時に、教師は教える立場ではなく、あくまでも子どもの学びを支える立場として位置づけられた。
 九二年からは月に一回、九五年からは月に二回という形で、「学校週五日制」が段階的に導入された。九六年には、中央教育審議会が「生きる力」を育む「ゆとり教育」を答申した。生きる力とは、自ら課題を見つけて解決する能力を指す。こうした流れのなか、授業時間数と学習内容は、漸次的に減らされ続けることになった。
 〇二年四月には、ゆとり教育の総仕上げといわれる新学習指導要領が実施される。「学校週五日制の完全実施」「総合的な学習の時間の創設」「学習内容の三割削減」を柱としたものだ。これにともない、授業時間数も約一五%減らされることになった。


学力低下論の噴出
 新学習指導要領に対しては、実施前から批判の嵐が吹き荒れた。大学生の学力低下を示すデータが次々に報告され、それを加速させるものと断定されたのだ。確かに不安材料はあった。「総合的な学習の時間」が登場したことで、国語や数学など主要教科の授業時間が削られてしまう。学習内容については、円周率の三・一四が三に簡略化される、台形の面積を求める公式が教科書から消える……といった報道が危機感をあおった。経済界からは、日本の国際的な競争力低下につながるという観点から、反対の大合唱が起きた。
 ゆとり教育の実施は、公立校と私立校の間に、授業時間やカリキュラムの面で大きな格差を生み出す。都心部を中心に、“自衛”の意味で、子どもを私立校受験へ駆り立てる親が目立つようになった。そのため、家庭の経済格差が教育の機会均等をゆるがしかねないという危惧も表明された。
 他方、ゆとり教育の賛成派も健在だった。多くは、暗記重視の詰め込み教育から脱却する方法として、「総合的な学習」に期待を寄せていた。

文部科学省の方向転換
 あいつぐ学力低下論に対して、文部科学省は、次第に学力重視へと軸足を移していく。 PISA(学習到達度調査)とTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の結果が芳しくなかったことが、

その方向転換に拍車をかけた。特にPISAの出題傾向は、新学習指導要領が重視する「生きる力」を試す内容であったことから、調査結果が与えた衝撃は大きかった。公式には日本の子どもの学力低下を認めてこなかった文科省が、〇五年三月に公表した「文部科学白書」において、「我が国の成績は全体として国際的に上位にあるが、世界のトップレベルとはいえない状況」と総括するに至ったのだ。
 こうした“脱ゆとり”を先導したのは、中山成彬文科相にほかならない。国語力の育成や理数教育・外国語教育の充実を唱え、「世界トップレベル」の学力を取り戻したいと折に触れて発言してきた。教育現場に競争原理を導入するため、全国学力テストの導入を指示し、総合的な学習の時間の削減、土曜日の半日授業を可能にする週五日制の見直しにも言及した。その結果、中教審は、「ゆとり教育」を柱とした現行の学習指導要領を全面的に見直すことになった。
 ゆとり教育について一番の問題点はどこにあるのか。中山文科相は、〈子供たちに「勉強しなくていい」というメッセージを与えている。先生にも、これだけ教えればいいと間違って伝わっている。指導要領も基礎基本をちゃんと教えることになっているが、内容の削減以上に時間を減らしたのは問題。基礎基本を徹底するなら、反復して教えるべきだ〉(読売新聞〇五年二月一五日付)と答えている。


“脱ゆとり”への賛否両論
 PISAとTIMSSの結果を受けて、ゆとり教育からの脱却を歓迎する声は多い。
 二つの調査がおこなわれた時期からみて、学力低下の原因を、現行の学習指導要領以前に遡って捉える意見もある。精神科医で国際医療福祉大教授の和田秀樹氏は、八九年改訂・九二年施行のカリキュラム削減に原因を求める教育関係者が多いことを指摘した。その上で、〈つまり、二〇〇二年のゆとり教育を撤回するだけでは、まだ足りず、少なくとも九二年以前に戻さないと、学力低下に歯止めがかからないのである。逆にいうと、二〇〇二年のゆとり教育を受けた子どもたちが、これらの調査を受けるころには、更なる学力低下が予想され、アジアでビリどころではなくなるだろう〉(産経新聞〇五年一月七日付)と予想する。
 折しも、現行学習指導要領の下で学んだ子どもたちについて、興味深いデータが発表された。全国から抽出した国公私立の小中学生を対象におこなわれた〇四年度「教育課程実施状況調査」の結果である。国語の記述式問題で正答率が低いといった弱点が浮かび上がったものの、全体的に〇一年の前回調査より正答率が高かった。ある意味では、学力の低下傾向に歯止めがかかったといえよう。これをゆとり教育の効果だとする見方はほとんどない。むしろ、ゆとり教育に危機感をつのらせた現場の教員たちが、懸命に時間をひねり出し、生徒たちを漢字の練習や計算問題に駆り立てた成果として捉えられている。
 とはいえ、従来型の教育に戻せば、事態は改善されるのだろうか。教育大国フィンランドの学校事情に詳しい中嶋博・早稲田大名誉教授は、〈日本や韓国が高得点をあげていた従来の国際調査は、詰め込まれた知識量をみるものだった。それを見直して、生涯にわたって学習する能力を身につけているかどうかをみるための指標として始まったのがPISA。だから、暗記や暗唱が中心の教育に戻したり、授業時間を増やしたりする方法では、日本の教育が抱えている課題は解決できない〉(朝日新聞〇五年二月二〇日付)と話す。
 学校教育学が専門の加藤幸次・上智大教授は、〈詰め込み時代の再来になる。いじめや不登校が深刻化するのでは〉(朝日新聞〇五年二月二〇日付)と懸念する。
 かつて、ゆとり教育の旗振り役として活躍した人々はどう考えているのか。
 現在の指導要領を推進しいまは文化庁文化部長をつとめる寺脇研氏は、学力だけを尺度に判断するのは乱暴だと考える。〈高度成長期は学力向上だけが目標だった。今は子どもの心や体、家庭や地域社会の崩壊の問題も同時に考えなくてはならない。この連立方程式のような問題に対応するため、五日制や総合学習を導入した〉(日本経済新聞〇五年七月一〇日付)。
 かたや、文科相だった有馬朗人氏(現・日本科学技術振興財団会長)は、〈全国学力テストを実施することには賛成だ。文相時代、子どもたちの学力の推移を示す資料がなかった。現在の調査は間隔があきすぎているので、約三年ごとにデータをとり、その結果で学習指導要領を手直しするようにしたらいい〉(朝日新聞〇五年二月一三日付)と提案している。
 東京大大学院教育学研究科長の佐藤学氏は、学力低下という現象の背後に、教育全般の劣化と教職の専門職性の危機をみる。〈この深刻な事態において教育の劣化を克服する最後の有効な方途は、教師の資質と能力の向上であり専門職性の樹立である〉(「論座」〇五年二月号)として、教師教育を学部段階から大学院段階へ引き上げるべきだと訴えた。
 教育評論家の中井浩一氏は、これからの学校教育そのものに悲観的だ。〈高度成長期に「詰め込み」が成立したのは、教育がよかっただけではなく、社会に実際のインセンティブがあったからなのだ。社会が、若者に未来を保証できず、学ぶ意味を示せないでいる時代に、教育に多くを求めるのは無理なのではないか。また、現下の教育に存在する大いなる矛盾も明らかである。教育する側は、高度成長期の中に成功体験を持ち、そこから生まれた価値観を持って生きているのだ。彼らが、どうして新たな価値観と生き方を教育することができようか。それはまさに「自己否定」にほかならないのだから〉(「中央公論」〇五年四月号)。
 学校だけでなく、各家庭による学習環境の違いにも眼を向ける必要がある。先述の文科省による「教育課程実施状況調査」では、全学年と全教科を通じて、朝食をきちんととっている子どもの成績がよいという傾向が明らかになった。
 また、日本では、高等教育において政府の支援が不十分なため、教育費は家計の負担に大きく依存するといわれる。米国の教育政策研究所(EPI)が示したデータはこれを裏付けた。欧米と豪州、日本などの先進一六カ国・地域を対象に、国民からみて大学に進学しやすい国をランキング方式で発表したところ、日本は最下位となったのだ。上位グループは、一位がスウェーデン、二位がフィンランド、三位がオランダという結果であった(朝日新聞〇五年六月二〇日付)。教育を受ける機会に、家庭の階層間格差が大きく影響している点に、さらなる議論が期待される。

自治体の取り組み
 各自治体は文科省に先駆けて“脱ゆとり”へと進んでいる。朝日新聞社の調べによると、休日の土曜日に補習をおこなう公立高校教員に対して代休を認めるなど、実質的に「土曜授業」を公認する自治体が二〇府県にのぼることが判明した(朝日新聞〇五年一月一二日付)。小中学校も事情は変わらない。〇五年六月、東京都では、中央区をはじめ四区の小中学校で、教員が土曜日に平日授業の復習をさせたり入試対策をおこなう「土曜スクール」を開始した。
 「総合的な学習の時間」を数学や英語などの教科学習に振り替えている学校も少なくない。東京都世田谷区では、約半数の区立小学校が英語に関連した授業をすすめている。同区立中学校でも、三年生の三学期になると毎年、主要教科の時間に切り換えるのが慣例だ。


「総合的な学習の時間」をめぐって
 とはいえ、中山文科相が総合的な学習の時間を見直す方針を示したことで、教育現場には動揺が広がった。主要教科に力を注ぐべきだとして賛同の声があがる一方、文科相の発言に反発も起きた。
 そもそも「総合的な学習」は、これから目指すべき新しい学力「生きる力」を育むものとして導入された。いわば、ゆとり教育の中核を担うだけに、この時期の見直しはあまりに定見がないという意見があいついだ。試行錯誤で教材を準備し、何とか新しい試みを軌道に乗せてきた学校現場では特に、やりきれない思いが渦巻く。
 教育課程論が専門の長尾彰夫・大阪教育大教授は、〈地域に出かけて学んだり、職場体験で職業意識をつけたりする場は今後いっそう求められる。現場は大臣の思いつき発言に左右されず、目の前の子どもを見つめて実践を重ねてほしい〉(朝日新聞〇五年一月一九日付)と「総合的な学習」の続行を求めた。
 滋賀県高島市立今津東小学校の大杉稔教諭は、〈総合を残すのか、取りやめて教科に時間を戻すのか、そうしたことを国が一律に決めずに、第一線で子どもたちの「今」を見つめている私たち学校(教師)に任せて欲しいのである〉(朝日新聞〇五年二月二六日付)と主張している。

保護者と教員の意識差

 教育改革をめぐって議論が揺れるなか、保護者と教員はどのように考えているのか。
 〇五年六月に発表された文科省の「義務教育に関する意識調査」の結果は、両者の意識差を顕著に浮かび上がらせた。「総合的な学習」について、保護者が大きな期待を寄せる一方、教員の八二・七%が「教材作成や打ち合わせなど準備に時間がかかり、負担が重くて大変だ」と答えている。特に中学校の教員に、否定的な傾向が目立つ。公立小中学校の年間授業時間を増やすことについては、保護者の六七%が賛成したのに対して、教員は三六・三%の賛成にとどまった。放課後や土曜日、夏休みに補習授業をおこなうことについては、保護者の六一・四%が賛成する一方、教員は一三・八%が賛成、五九・五%が反対という数字が出た。
 保護者は公教育に対して、子どもに十分な学習をさせてほしいと望むだけでなく、点数では測れない新たな能力も身につけさせてほしいと期待を寄せる。しかし、教員の姿勢は前向きではない。教育方法学が専門の埼玉大の岩川直樹教授は、〈教員の多忙感が臨界点に達していることを前提に調査結果を見るべきだ。教員の仕事はより複雑に高度になっているのに、人やモノ、金、時間などの条件は整っていない〉(東京新聞〇五年六月一九日付)と注意を促している。

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