成果は問うが雇用は守る――キヤノン流「運命共同体経営」の挑戦
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みたらい・ふじお
御手洗冨士夫 (キヤノン会長)
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グローバルスタンダード礼賛が招いたもの
一九九〇年代、バブル崩壊とその後のデフレ不況によって、世界経済の優等生だった日本企業の戦略はたちまち行き詰まった。資産価格の急落にともなうキャピタルロスが企業の財務を痛めつけ、質の高い労働力は、グローバル化の波に乗ってなだれ込む安価な中国製品と、その背景に存在する低賃金労働者の脅威にさらされた。
経営モデルを見失った日本では、「グローバルスタンダード」という言葉がもてはやされるようになった。徹底した成果主義や社外取締役制度などアメリカ流の経営手法がさかんに紹介され、いわゆる日本的経営はとうの昔に役割を終えたかのようにいわれたものだった。なかでも終身雇用制度は、集中攻撃を受けた。無駄な人件費がかさみ、組織が肥大化し、スピーディな経営ができないといった批判が繰り返された。
経営の余力を失っていた日本企業は、この機運に乗じ、「リストラ」と称して大規模な人員削減を行った。入社すれば「一生安泰」と思われていた優良企業でさえ、例外ではなかった。日本の失業率は七〇年代のオイルショックや八〇年代の円高不況のときでも三パーセントを超えることはなかったが、それが九五年には三・二パーセントに達し、二〇〇二年(平成一四年)にはついに五・四パーセントを記録。つねに五パーセント前後で推移するアメリカの失業率を上回った。
だからといって、「日本もグローバルスタンダードに追いついた」と喜ぶ人はまずいないだろう。雇用不安が社会にもたらす深刻な影響を、私たち日本人はこの数年間でまざまざと見せつけられてきたからだ。しかし一方、リストラを断行し、人件費の負担を軽減したことで、めざましい業績回復を遂げた企業もあった。
画期的な新商品を生み出す環境とは
はたして終身雇用は、ほんとうに時代おくれの間違った経営手法なのだろうか。
私は必ずしもそうは思わない。むしろ「日本で企業を経営するなら、終身雇用こそ相性の良い制度だ」とくり返し明言している。
一九九五年にキヤノンの社長に就任したとき、私が最初に手がけた大きな改革は、パソコン事業からの撤退であった。キヤノンは、コンピュータ事業を将来の成長分野と見込んで、七〇年代からいちはやく進出、優秀な人材と多額の資金を注ぎ込んでいた。ところが赤字は一〇年以上も続き、業界シェアもふるわなかった。NECや富士通のように自前のLSI(大規模集積回路)を開発・生産することもできなかった。会社の「全体最適」を考えれば、撤退は自明であった。
とはいえ、当時はマイクロソフト社の「ウィンドウズ95」が発売され、パソコンがまさに爆発的な普及を遂げた時期である。「黒字になるまで戻ってくるな」といわれてアメリカの開発子会社に送り出された出向社員のなかには、涙を流して抗議する者もいた。しかし私は、これを皮切りに七つの不採算部門を整理した。合計で年間七三〇億円の売り上げを失ったが、同時に、毎年二六〇億円の赤字を解消することに成功したのである。
事業を整理するにあたって、私は「終身雇用は維持する。だが、年功序列賃金は見直す」と宣言した。パソコン開発に没頭していた研究者たちは、泣く泣く他の部門に移っていった。
おりしもデジタル化の波はコピー機やカメラといったキヤノンの既存事業にも押し寄せていた。アナログの時代と違って、デジタルデータを取り扱うため、画像処理や圧縮、入出力するためにワンチップ化された専用システムLSIが必要となる。こうしたデバイスの開発にコンピュータの知識は欠かせない。彼らは、これまで身につけた技術をもとに、次々と画期的なキーコンポーネントを生み出していった。これがアメリカであれば、技術者たちは何のためらいもなく当社を去り、他社に転職していっただろう。
メーカーの製品開発には長期的な視野が欠かせない。キヤノンの主力商品である複写機は、開発に着手してから軌道に乗るまで二〇年かかった。バブルジェットプリンタは、着想から製品化までに一五年を要した。終身雇用という安定した環境があればこそ、技術者は腰をすえて困難なテーマに取り組むことができる。逆に技術者を切れば、その瞬間に、企業は長年培ってきた有形無形の知的財産を失ってしまうのだ。
ビジネスはグローバルでも経営はローカル
技術者だけではない。一九九八年、私は工場のベルトコンベアによる流れ作業を廃止し、セル生産方式の導入を試みた。これは、一つの製品を少人数のグループ(究極的にはたった一人)で最終段階まで組み立てる方式で、当社の生産効率を高めた画期的な生産方式である。しかし導入した当初はまったくうまくいかなかった。工場長が頭を抱えていると、現場の女性従業員たちが就業後、自主的に集まって解決策を模索し、「からくり」と呼ぶ手作りの作業道具まで開発して、驚くような成果を達成した。組織と自分を“運命共同体”と考える、日本人独特の農耕民族的な気質のなせるわざで、それは長期雇用が前提になる。その点、アメリカの企業社会はいかにも狩猟民族的だ。
私は六六年に、設立後間もないキヤノンUSAに出向し、以来二三年間をアメリカで過ごした。さまざまなカルチャーギャップを経験したが、一番驚いたのは、当初、アメリカ人社員には愛社精神が著しく欠如しているという現実だった。
はじめに経理部門を担当したのだが、セールスマンの領収書をチェックしていると、不正な経費が次々と出てくる。なかにはガールフレンドとの旅行の費用を、出張費として請求してくる輩もいた。私が憤然として追及すると、相手は「社長でもないのに、なぜそんなことをいうんだ。おまえもやればいいじゃないか」と開き直る。
業績が上がり、会社の名が知られるようになると、今度は手塩にかけた従業員が、「ミスター御手洗、あなたのおかげでこんな立派な会社からオファーがきた。ありがとう」と言って去っていく。「おめでとう」と握手を交わしながらも、私は何度となく腹立たしい思いで見送ったものである。
ビジネスはグローバルでも、会社の経営というものは、じつにローカルなものなのだ。私は七九年からキヤノンUSAの社長を一〇年間務めたが、アメリカでは徹底してアメリカ式の経営をした。しかし日本で、日本人を雇用して経営するなら、日本人の特性を生かすのが一番である。日本では、社員が安心して働けることが何よりも会社の力になる。私が終身雇用を維持するのは、好き嫌いではない。合理的な判断によるものだ。
社外取締役は必要ない
もっともアメリカでもエクセレントカンパニーと呼ばれる会社では、人の出入りが激しいというわけではない。優秀な人材のいる会社は、社員を大切にするし、社員もその企業の一員であることに愛着とプライドをもって働いている。実態としては日本の終身雇用にちかく、したがって社員教育への投資も無駄になりにくい。
日本の場合、問題なのは、それが年功序列の硬直した賃金体系と結びつき、ともすると仕事への緊張感を薄れさせるからだ。
キヤノンはもともと「健康第一主義」「新家族主義」「実力主義」を社是に掲げており、実力で社員を評価する伝統がある。さらに二〇〇一年からは「役割給」を導入、評価の基準を勤続年数や経験におくのではなく、仕事の成果のほうに比重を移すことにした。昇進についても、係長・課長代理の予備軍にあたるクラスまでは、筆記論文などの試験を課している。答案には氏名を書かず、試験番号だけを記すので客観的な評価が可能だ。こうした新しい制度の導入により、同期入社でも四〇歳程度で最大二倍の年収差がつくようになった。
管理職への昇進はアセスメントや人事考課で決まるが、私は、社員同士の信頼関係を最優先し、「業績だけで人物を評価するな」といっている。終身雇用制のもとで、長年にわたり上司や部下、他部署と、さまざまな視点からチェックされれば、当然、不正を見過ごすような人物が責任ある地位につくことはけっしてありえない。経団連会長としてコンプライアンスの徹底を訴えている私が、アメリカ式の社外取締役制度に必要性を感じないのは、そうした理由がある。
社員は、会社と自分が運命共同体だと思うことで安心して働くことができる。そうすれば、仕事に対するモチベーションはおのずと高まる。終身雇用制度は、失業率を抑制して社会の安定に寄与すると同時に、日本企業を新たな成長のステージへと押し上げるコア・コンピタンス――貴重な競争力の源泉になるのである。
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2008年2月25日月曜日
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